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2010/12/24

歴史の?その369:歴史と伝承の狭間⑤

<歴史と伝承の狭間⑤:地上の楽園は何処にその1>

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 人間は何時も、この世の楽園を夢見てきました。
戦も貧困も知らず、総てのものに正義が行われる、大いなる平和と美の国、世の憂いと永遠に無縁で居られる島、其れが人類の夢でした。

 その様な民間信仰を取り除こうと、中世の教会は努めましたが、西方に楽園が存在するという神話は、社会の如何なる階層にも広く流布していました。
中でもケルト人は、人間の不朽の魂が、永遠の平和を得られる来世、すなわち死者の島の概念を持っていました。

 文人や吟遊詩人達は、それぞれにこれ等空想の国の物語を描き、或いは読み広め、更には海の彼方からヨーロッパの海岸に漂着した、めずらしい物が夢と現実をこの世に現す手助けをしました。

 古代ギリシア人からケルト人、アングロサクソン人迄、この様な地上の楽園は、おおむね夕日の彼方、西方の何処かに在ると考え、メロピス、オギュギア、幸福の島、ヘスペリスの園、アバロン等さまざまな名称で呼ばれていました。
スコットランド人とケルト人は特に、「若さの島:デエル・ナン・オグー」と呼びました。

 サクソン族に征服される以前に、ブリトン族を支配したと云われる伝説の王アーサーは、死期を迎えた時、ケルト族の「聖者の島」アバロン島へ小船で運ばれたと云われています。

 イングランド南西部のグラストンベリーは、かつてのアバロン島とされ、アーサー王の死の物語と結びつけて語られます。
1190年、グラストンベリー寺院の古い墓地で、アーサー王とギネビア王妃の遺骨と思われるものが発見され、あらためて寺院の礼拝所に収められ、その位置が1931年に再発見されました。

その2へ続く・・・

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