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2010/12/27

歴史の?その371:歴史と伝承の狭間⑦

<歴史と伝承の狭間⑦:地上の楽園は何処にその3>

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◎楽園の島

 其処では、水に浮かぶガラスに宮殿が、祝福された者の魂を迎え入れます。
若者と乙女達が、柔らかな草の上で踊り、木には果実がたわわに実り、牛は1回の乳搾りで、池を満たす程のミルクを出す。

 遥かな楽園の島の物語は、フランスではコカーニュ、すなわち「お菓子の国」と呼ばれました。
13世紀のイギリスの詩では、コカーニュはスペインの西に在ると云い、一方フランスの詩では、コカーニュでは通りをガチョウの丸焼きが歩き(!)、若返りの泉が湧いていると云われました。
この様に、滑稽なお話にもかかわらず、西方の幸福の島の神話は、中世民衆の夢を育み、ドイツ人にとっては、イギリスが彼らの場所から見て、西方の島であったので、其れをエンゲルランドと呼び、スラヴ人も遠い西の国の果実がたわわに実る楽園を夢見たのでした。

 アイルランドとスコットランドのケルト人は、デエル・ナン・オグーは宮殿の立ち並ぶ都で、大西洋か未知の湖の底に在ると信じていました。
この空想は、アイルランドを侵略した北欧民族にも受け継がれ、彼らの帰国と共に、伝説も北欧へ伝わっていきました。
彼らは其れをアイルランド・ヒット・ミクラ(大アイルランド)と呼び、自分たちの見たアイルランド島の西に在ると信じたのでした。

本編終了・・・

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