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2011/01/06

歴史の?その376:歴史と伝承の狭間⑫

<歴史と伝承の狭間⑫・伝記の陰の真実その1>

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◎ネロはローマ炎上を見ながらバイオリン(竪琴)を弾いた

 長い間信じられて来た古代ローマの伝説によると、誇大妄想狂の皇帝ネロは、自分自身の不朽の記念碑として、新たな都を建設する夢にとりつかれ、町を塞ぐ私有地の所有者達に妨害されたので、ローマ市に放火したとされています。

 しかし、ネロが市内の何処かに放火させたと云う歴史的証拠は存在せず、この伝説の中で最も有名な「ネロは都の搭(宮殿のバルコニー)に登ってバイオリンに興じた」と云う部分は、更に真偽の程が怪しいものなのです。
まず、バイオリンが発明されたのは、16世紀に成ってからですが、別の表現では、「彼はホメロスを気取り、リラ(七弦の竪琴)をかき鳴らした」と云う事に成っています。

 ローマの大火が有って間もなく、歴史家タキトゥス(西暦55年~西暦117年)が書いた記録によれば、火災発生時、ネロは80km程離れたアンティウムの別荘に滞在していましたが、大火災を眺めて楽しむ所か、すぐさま都に駆けつけ、消火に努力したそうです。

 動機が何であったかは別として、其れがネロの行った唯一の殊勝な行動でした。
他の面では、この皇帝は忌むべき生涯をおくりました。
17歳の時、母アグリッピナの力で権力の座に就いた彼は、義弟ブリタニクスの帝位継承簒奪者として民衆に憎まれ、更に彼の私生活は、当時のローマの風習に照らしても、恥ずべき醜聞に満ちていました。
人々が取り分け迷惑がったのは、ネロの演じる芝居やオペラを強制的に鑑賞させられる行為で、どうやら、彼は凄まじい迄の大根役者で、更に悪声の持ち主の様であったと思われます。

 ネロはキリスト教徒を過酷に弾圧したと伝えられていますが、当時の初期キリスト教徒は、未だ声望のない小集団に過ぎず、魔術師の集団の様に怪しまれていた為、ネロに取って大火の責任を問う格好の替え玉だったのです。
その為、数百人のキリスト教徒が処刑されましたが、生きたままライオン等の猛獣に餌食にされた記録は存在しません。

 ネロの残忍性と放蕩性は、最後には最も身近な者達も遠ざけ、執政官護衛兵団(皇帝個人のボディガード)も彼を見捨て、西暦68年、降位と処刑の瀬戸際に追い詰められた彼は自殺します。

その2へ続く・・・

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