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2011/02/14

人類の軌跡その8:伝説①

<バビロンの栄華その1>

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        伝説のバビロン:バベルの塔と空中庭園


 今を遡る7000年の昔、現在のイラクとイランの南西部にあたる付近には、シュメール人の文化が栄えていました。
この地方には、チグリス河とユーフラテス河が流れ、地味豊かで農耕に適した地方です。
この地方一体はメソポタミアと呼ばれ、ギリシア語で「河と河の間の地」と云う意味なのです。

 シュメール人は、このメソポタミアの地に、最初の都市ウルを建設しました。
メソポタミア地方には、殆ど石が無い為、粘土を固めてレンガを作り、家屋や神殿を建設して行きました。
又、粘土版に楔形の文字を刻み、記録する術を知っており、やがて、メソポタミア地方には数多くの都市国家が生まれ、長期間に渡って異民族の侵入をうける事も無く、独自の文化を営む事が可能でした。

 やがて、セム族のアムル人がメソポタミアに侵入し、バビロンを中心に統一国家バビロニアを建国します。
ハンムラビ法典で知られる、ハンムラビ王(バビロン第一王朝)の時代(紀元前1729年~紀元前1686年)が最大の繁栄期であり、後世からも模範とされた古典時代を現出しました。

 後の時代、北方に勢力を伸ばしたアッシリアが、次第に勢力を拡大し、メソポタミアの地に侵入を繰り返します。
紀元前7世紀に至り、ネブカドネザル2世(在位紀元前605年~紀元前562年)の時代から再び栄光の時代を取り戻し、新バビロニアと成ります。

 新バビロニアが最も繁栄した時代は、先のネブカドネザル2世の時代で、その当時のバビロニアは「全ての国の中で、最も美しい国」と称されました。
首都のバビロンは、その面積が現在のロンドンに匹敵する程の広さを誇り、日干し煉瓦で造られた城壁は、総延長64kmに及び、夥しい塔楼と青銅造りに門が存在し、中でも有名な物が現在に残る、イシュタール門なのです。

 城壁は広く、当時戦闘に使用された四頭立てのシャリオットが、自由に走行出来たと云われ、この都を訪れたキャラバンは南の門から入り、北の門に辿り着く為に1日を費やしたと記録が残されています。
強力な軍隊に警護され、難攻不落を誇ったバビロンもやがては、度重なる戦火によって破壊され、廃墟と化しました。
記憶に残るこの華麗なる都は、多くの伝承によって何時しか伝説の都と成り、「バベルの塔」「空中庭園」の話が現在に伝えられているのです。

その2へ続く・・・
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