人類の軌跡その9:伝説②
<バビロンの栄華その2>

◎バベルの塔
バビロンの都の近く、ユーフラテス河から1km程の平原の中に、山の様にそびえる巨大な建造物が存在し、現在の人々は此れを「バベルの塔」と呼んでいます。
バベルの塔は、明らかに神を祭った神殿ですが、なぜこの様な大建造物を建立したのでしょう?
話は、創世記に伝えられるノアの洪水迄、遡ります。
聖書に由れば、この洪水は神の怒りにより、地上の悪を滅ぼす為に起こされたもので、信仰心の厚いノアの家族だけが、箱舟に乗ってこの災いを逃れる事が出来ました。
この箱舟に乗っていた、ノアの三人の息子、ハム、セム、ヤペテがやがてメソポタミア地方を支配する事に成り、ハムは、バビロンの都を築いたと云われ、子孫のニムロデは、バビロンの王に成りバベルの塔を築いたと云われます。
「さあ、町と塔を建てて、その頂きを天に届かせよう。そして我々の名を上げて、全地の表に散るのを免れ様」(創世記十一章四節)
聖書が塔の建立者の口を借りて、語らせたことばです。
バベルと云うことばは、「神の門」の意味ですが、高い塔を空高く積み上げる事は、取りも直さず、天の神に近づく事であり、人々はこの為に高い塔を建て、天に昇る入口を造ろうとしたのでした。
伝承に由れば、工事は一日に30cmずつ、レンガを積上げ、塔の頂きは雲に隠れる程であったと云い、その影の長さは、3日も掛かる長さに伸び、頂上に行き着く迄には、半日を要したと云われます。
私達は、現在その偉容に直接接する事は、永久に出来ませんが、バベルの塔が跡形も無く消滅してしまったかについて、聖書は語りません。
伝説には、ニムロデが巨大な塔を完成させた時、人々は天の神に近づく事が出来ると言って喜び、ニムロデは「今こそ、自分は神に勝る強大な存在であり、天地を支配する権力を握る事が出来た」と豪語したと云います。
神は、人間の傲慢な振る舞いに怒り、そして言いました。
「見よ、彼らは皆同じ言葉を持った一つの民である。そして、その最初の仕事が此の有様だ。今に彼らが行おうとする事は、何事も留められなくなるだろう。彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じない様に仕向けよう」
神は、嵐を巻き起こし、塔の上部を吹き飛ばし、稲妻は激しい炎を放ち、塔を焼き尽くして、地上の人間を散らしてしまったので、彼等は、町を造る事を止めました。
其処でその町の名前は「バベル(混迷)」と呼ばれ、神が全ての土地の言葉を乱し(バーラル)、其処から彼等を全ての土地に散らせたのでした。
その後、塔はセミラミス女王とネブカドネザル2世の時代に再建され、紀元前460年頃、バビロンを訪れたハリカルナッソスの歴史家ヘロドトスは、再建されたバベルの塔について、次の様に述べています。
「聖域の中に、縦横とも1スタディオン(185m)の堅固な塔が造られ、塔の上に第二の塔が存在し、この様にして8層の塔が積重ねられている。外側は、回転式の一種の休息所が在り、塔を上る者は腰を降ろして休息した。
最上部には、大きな神殿が在るものの神像の類は存在しなかった・・・神は時々神殿に来て、其処で休んだのだろう」
バベルの塔は、現在その姿を想像する以外に方法は有りませんが、12世紀、ロマネスク時代の鐘楼にその在りし日の姿が描かれた事をはじめ、ヘルツォーク(15世紀)、ブリューゲル(16世紀)、マシュウ・メリアン(17世紀)等の手によって、今日に姿を知らしめています。
尚、メソポタミア地方には、現在でも階層を成したバベルの塔を小さくした粘土の塔が、沢山存在しますが、此れはジグラットと呼ばれ「山の家」の意味なのです。
その3へ続く・・・

◎バベルの塔
バビロンの都の近く、ユーフラテス河から1km程の平原の中に、山の様にそびえる巨大な建造物が存在し、現在の人々は此れを「バベルの塔」と呼んでいます。
バベルの塔は、明らかに神を祭った神殿ですが、なぜこの様な大建造物を建立したのでしょう?
話は、創世記に伝えられるノアの洪水迄、遡ります。
聖書に由れば、この洪水は神の怒りにより、地上の悪を滅ぼす為に起こされたもので、信仰心の厚いノアの家族だけが、箱舟に乗ってこの災いを逃れる事が出来ました。
この箱舟に乗っていた、ノアの三人の息子、ハム、セム、ヤペテがやがてメソポタミア地方を支配する事に成り、ハムは、バビロンの都を築いたと云われ、子孫のニムロデは、バビロンの王に成りバベルの塔を築いたと云われます。
「さあ、町と塔を建てて、その頂きを天に届かせよう。そして我々の名を上げて、全地の表に散るのを免れ様」(創世記十一章四節)
聖書が塔の建立者の口を借りて、語らせたことばです。
バベルと云うことばは、「神の門」の意味ですが、高い塔を空高く積み上げる事は、取りも直さず、天の神に近づく事であり、人々はこの為に高い塔を建て、天に昇る入口を造ろうとしたのでした。
伝承に由れば、工事は一日に30cmずつ、レンガを積上げ、塔の頂きは雲に隠れる程であったと云い、その影の長さは、3日も掛かる長さに伸び、頂上に行き着く迄には、半日を要したと云われます。
私達は、現在その偉容に直接接する事は、永久に出来ませんが、バベルの塔が跡形も無く消滅してしまったかについて、聖書は語りません。
伝説には、ニムロデが巨大な塔を完成させた時、人々は天の神に近づく事が出来ると言って喜び、ニムロデは「今こそ、自分は神に勝る強大な存在であり、天地を支配する権力を握る事が出来た」と豪語したと云います。
神は、人間の傲慢な振る舞いに怒り、そして言いました。
「見よ、彼らは皆同じ言葉を持った一つの民である。そして、その最初の仕事が此の有様だ。今に彼らが行おうとする事は、何事も留められなくなるだろう。彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じない様に仕向けよう」
神は、嵐を巻き起こし、塔の上部を吹き飛ばし、稲妻は激しい炎を放ち、塔を焼き尽くして、地上の人間を散らしてしまったので、彼等は、町を造る事を止めました。
其処でその町の名前は「バベル(混迷)」と呼ばれ、神が全ての土地の言葉を乱し(バーラル)、其処から彼等を全ての土地に散らせたのでした。
その後、塔はセミラミス女王とネブカドネザル2世の時代に再建され、紀元前460年頃、バビロンを訪れたハリカルナッソスの歴史家ヘロドトスは、再建されたバベルの塔について、次の様に述べています。
「聖域の中に、縦横とも1スタディオン(185m)の堅固な塔が造られ、塔の上に第二の塔が存在し、この様にして8層の塔が積重ねられている。外側は、回転式の一種の休息所が在り、塔を上る者は腰を降ろして休息した。
最上部には、大きな神殿が在るものの神像の類は存在しなかった・・・神は時々神殿に来て、其処で休んだのだろう」
バベルの塔は、現在その姿を想像する以外に方法は有りませんが、12世紀、ロマネスク時代の鐘楼にその在りし日の姿が描かれた事をはじめ、ヘルツォーク(15世紀)、ブリューゲル(16世紀)、マシュウ・メリアン(17世紀)等の手によって、今日に姿を知らしめています。
尚、メソポタミア地方には、現在でも階層を成したバベルの塔を小さくした粘土の塔が、沢山存在しますが、此れはジグラットと呼ばれ「山の家」の意味なのです。
その3へ続く・・・
スポンサーサイト
コメント