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2011/02/22

人類の軌跡その15:忘却④

<エフェソスのアルテミス神殿その4>

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             アルテミス神殿復元模型

◎ゴート人の侵入

 エフェソスのアルテミス神殿は、聖パウロが同地を訪れて後、約100年の間、栄光に満ちた姿を見せていましたが、260年~268年、ヨーロッパからアジアに侵入したゴート人によって、略奪と破壊を余儀なくされました。
そして、神殿跡は採石場と化し、屋根、台座、円柱は破砕され、石灰を作る為の資材となり、建築材料として運び去られました。

 その結果、神殿の構造物で満足な姿で現存する物は、全く存在せず、その廃墟の上に時の経過と共に、土や草木が覆い、終には神殿の存在した場所その物の痕跡が、地上から消滅してしまいました。
12世紀の事、かねてよりアルテミス神殿の壮麗さを聞かされていた、十字軍の軍団がこの地を通過した時、当時の町の住人の神殿の事を尋ねても、住人の記憶からもアルテミス神殿は消えていたのでした。

◎神殿の発掘

 1863年、イギリスの考古学者J・T・ウッドが登場する迄、1600年という時間が流れていました。
ウッドは、プリニウス(23年~79年:ローマ時代の博物学者)や、ディオゲネス・ラエルティオス(紀元前3世紀頃:ギリシア哲学史家)、ストラボン(紀元前63年~紀元前21年:地理学者・歴史家)等の著作を読み、エフェソスのアルテミス神殿の廃墟を探索し、発掘する決意をしたのでした。

 大英帝国博物館の後援を得つつも、11年の歳月と、常に資金不足に悩みながら、終に地下7mの付近から、大神殿の痕跡を掘り当て、発見した建設用の石材や、円柱の破片を基に、芸術家の援助によって、かなりの正確さで、神殿の姿を復元したのです。

 かつてタイア(古代フェニキアの港湾都市)からの商船を迎え、カルタゴからの艦隊を迎えて、大いなる繁栄を謳歌したエフェソスも、現在は過去の栄華を偲ぶものは一切無く、20軒程のトルコ系住民の住む寒村に過ぎません。

続く・・・
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