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2011/02/25

人類の奇跡その18・忘却⑥

<オリンピアのゼウス像その2>

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◎黄金の像

 ゼウス像は、宝石、黒檀、象牙によって象嵌された金の玉座に安置され、両足は参拝者のほぼ目の高さにあたる金製の足台に乗せられ、右手は上に伸ばし、金と象牙の勝利の女神ニケを支え、左手には黄金をはめ込んだ王尺を持ち、その上に鷹がとまっていました。
ぞうげに彫られた力強い両肩には、花や動物で飾られた金製のマントルがひだを広げていました。

 この像を見た当時の人々は、次の様に感想を述べています。
「重荷を負える人も、不幸と悲しみの盃を飲み干した人も、もし立ってこの像を眺めるならば、この不可解な世界の辛く気だるい重さを忘れるであろう」と。

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◎オリンピア

 オリンピアの言葉を聞くと、現代の人々は誰も、4年毎に開催されるオリンピック競技を連想する事と思います。
伝説では、ヘラクレスによって初めて開かれたと、云われています。
第一回は、紀元前776年、以後217年迄4年毎に開催されました。
最初は、地方単位の小さな行事に過ぎませんでしたが、やがて全ギリシアの行事となり、後にはマケドニア人やローマ人も参加する様に成りました。

 競技種目も最初は、ランニングとレスリングだけでしたが、最終的には24種目迄増加し、演説や絵画迄加わりました。
開催前後の1ヶ月は、「神聖な休戦」と呼ばれ、ギリシア周辺で行われている、如何なる戦争も休戦とされ、ペルシア戦争の折でさえ、この誓いは守られたのです。
競技の勝利者には、神域に在る神聖なオリーブの枝で作られた冠(月桂冠)与えられ、更に勝利者となる事は大変な名誉で、その彫像や記念碑は神域の中に建てられ、帰国後は名誉市民として、その一生を国費で賄われたのでした。

 オリンピアの競技は、ギリシアがその覇権を喪失した後も、長く開催され続けましたが、394年ローマ皇帝テオドシウス1世が、オリンピア競技の禁止に関する勅令を公布し、426年には異教の神殿破壊令が出され、ゼウス神殿は破壊され、更に522年と551年の震災でクロノスの丘は崩壊し、グラディオス川の氾濫により、その神域は3m~5mの砂の層に埋没する事と成りました。

 しかしながら、古代より文明の発展した地域に在ったお陰で、この周辺には神殿、公共施設、競技場等の建造物が多数埋没している事が知られており、18世紀頃から発掘を志す者が多数存在しました。
1829年ギリシアが独立を果たすと共に、フランスによってゼウス神殿跡の発掘が開始され、メトーブ、柱、屋根等の破片が発見されました。1875年~81年にかけて、ドイツ政府により本格的な発掘作業が再開され、オリンピアの全体像が解明され、ゼウス神殿の跡もほぼ確定されたのでした。

続く・・・
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