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2011/03/05

人類の軌跡その25:忘却⑨

<ヘリオスの巨神像その1>

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        ロードス島のシンボル 鹿の像

 ロードス島はエーゲ海の南東部、小アジア半島近海に浮かぶ島で、常に戦略的、商業的な要地でした。
出土品等によって、既にミケナイ時代(紀元前15世紀)頃には、繁栄していた事が判明しています。
このロードス島にヘリオス(アポロン)の巨像が建設された経緯には、次の様な話が伝えられています。
ロードス島は、先の霊廟で登場した、カリア王マウソロスの支配下に入った事も在りましたが、その後ペルシアの征服者ダレオス王により支配されました。
紀元前340年、アレクサンドロス大王によって開放され、エジプトのアレキサンドリア(アルイスカンドリア)が地中海交易の中心地になった時、ロードス島はその中継地となり、船舶は東方の財貨をこの島に運び、エジプトの産物を地中海全域に配分しまし、島は富み栄えたのでした。

 その後、エジプトのプトレマイオスがマケドニアと戦火を交えた時、ロードス島の人々は船舶を提供してプトレマイオスを援助したのです。
この様な事実から、紀元前307年、マケドニアは4万の軍勢と370隻の軍船を伴い、北部ギリシアからロードス島に侵攻し、攻撃軍は城壁を破壊する為、当時最も強大な青銅製の攻城機、斧、石弓を持ち込みました。
当時のロードス島の人口は、全てを集めても侵略軍の軍勢に及ばず、大変な苦戦を強いられたものの、勇敢に戦いマケドニア軍の攻撃を撃退して、1年間も島を死守しました。
歴史家の記述によれば、ロードス島の島民は、奴隷達にも武器を与え、戦争の終了した暁には自由人となる事を約束し、女性は弓の弦を作る為に髪の毛を差し出し、食物、衣類、武具を昼夜分かたず作り続け、島民は城壁の補強の為に神殿の石材さえを用いたと云います。
しかし、外部からの応援が望めない限り、これ以上の持久戦は不可能でした。

続く・・・
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