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2011/03/08

人類の軌跡その28:忘却⑫

<ヘリオスの巨神像その4>

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 巨像の残骸は、800年以上に渡って、地面に横たわっていましたが、672年、アラブによるロードス島占領の際、破片やその他をスクラップとしてユダヤ商人に売却してしまい、ユダヤ商人は300t程の青銅を900頭の駱駝に乗せて運び去り、現在では一切の痕跡を残さず、ヘリオス像がどの位置に建っていたか正確に伝える物は存在しません。
フィロの世界に七不思議にその名前が、残るだけなのです。

 処で、ヘリオスの巨像は、プリニウスが述べている様に、高い台座の上に両足を揃えて立っていたのですが、何時の頃から、港の入口の両方の岬を両足で踏まえ、その下を船が出入りしたと云う伝説が生まれました。
シェクスピアは、この話を信じていたのか、「ジュリアス・シーザー」の中で、カッシウスに、「あの男は狭い世に足を踏みはだけている。まるでコロッサス(巨像)の様に。そして我々人間どもは、あの大きな男の股の下をくぐって、みじめな墓地を探し回っている」と言わせ、ジョナサン・スイフト(1667年~1745年)も同じ様に伝説を鵜呑みにして、「ガリヴァー旅行記」(1726年初版)の中でガリヴァーをリリパトの首都の広場に大股を広げて立たせ、その下をくぐって軍隊を行進させ時、「コロッサスの様に」との単語で形容しています。
事実、これ等の伝説から、ヘリオスの巨像の両足を広げた姿に描いているものも散見されますが、事実に基づかない想像に過ぎません。
ギリシアの芸術家は、だれ一人として、その様な品位の無い姿で、神の像を設計するはずは無く、現実問題として、幅60mを超える港湾の入口を跨がせるなら、その像は少なくとも120m以上の身長が必要となり、其処まで巨大な像が青銅で建造されたとは、考えられません。
やはり、ヘリオスの巨像は、ギリシア伝統の立像として、石の台座に両足を真直ぐ踏み揃えて立っていたのでしょう。

続く・・・
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