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2011/03/10

人類の軌跡その30:栄光①

<アレクサンドリアの図書館・灯台その1>

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◎古代アレクサンドリア

 アレクサンドリアは、エジプト第二の都市、地中海とマレオティス湖に挟まれた狭い陸地に存在し、エジプト第一の港湾都市でも在ります。
アレクサンドリアとは「アレクサンドロスの都」の意味でマケドニアのアレクサンドロス大王(紀元前356年~紀元前323年)が、紀元前322年のエジプト征服後、ナイルデルタの西側、ラコティスの漁村に近く、北にファロス島を控え、西にマレオティス湖を湛えた地を選び、建築家のディノクラティスに命じて都市を建設した事が発端に成ります。

 大王は将来、この都市を世界貿易の中心とする考えでした。
都市の建設は、クレオメネス、更にはプトレマイオス朝エジプトに継承され、やがては同王朝の首都と成り、プトレマイオス2世の治世に完成しました。
完成したアレクサンドリアの街は、アレクサンドロス大王の意思に違わず、東西の接点として機能し、地中海貿易とアラビア、インド貿易の中心地と成り、数世紀に渡り、「人の住む世界最大の貨物集散地」としての地位を確保し、「アレクサンドリアに無い物は雪だけ」と言われる様に成ります。

 プトレマイオス王朝末期に於ける、最盛期の同市の人口は100万を超え、プトレマイオス・ソテルスの創設した、アレクサンドリア図書館はその蔵書数70万巻と云われ、古代に於ける図書館としては最大規模の図書館のひとつでした。
図書館はムセイオン(ムーサイ学園)に付属し、プトレマイオス3世エウエルゲテス(善行者)は、書物を持ってアレクサンドリアを訪問した者は、原本を図書館に寄進し、変わりに写本受け取る様に命じたので、アレクサンドリア図書館は、別名、略奪図書館との異名を冠する程に成りました。
当時、小アジアのペルガスムス(ペルガモン)にも、ユーメネス2世が創った有名な図書館が存在し、同図書館の司書アリストファネスの争奪をめぐって、アレクサンドリア図書館と紛争が起こり、其れが原因と成ってペルガスムスは、エジプトから製本に必要なパピルスの供給を停止され、その代用としてパーチメント(羊皮紙)が発明された程でした。

 紀元前48年~紀元前47年のアエクサンドリア戦役の折、ユリウス・カエサルの率いるローマ軍の戦火で消失したものの、その後、クレオパトラとの恋物語で名を留める、将軍アントニウスが、ペルガスムス図書館の蔵書を送りアレクサンドリア図書館は再建されました。
同図書館の最大の加害者は、キリスト教徒による破壊活動ですが、13世紀頃以下の様な逸話が広く語られる様になりました。

「アレクサンドリア図書館は640年、サラセン人のアレクサンドリア攻略の時、再び灰燼に帰す事に成ります。
その時、サラセンの将アムルーが、アレクサンドリア図書館の処遇に関して、国王オマル1世の意向を質した処、「もし図書館の書物がコーランの趣旨に反する物ならば有害である、コーランと同一であれば不要である」として、焼却を命じ、その膨大な蔵書は、市内4箇所の浴場で燃料として使用され、全てを焼却するのに半年もの期間を必要としました。」
(以上はキリスト教徒による逸話)

続く・・・

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