2011/03/15

人類の軌跡その35:キリスト教②

<カタコンベ・コロセウム・聖ピエトロ寺院その2>

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 人や車の往来が途切れる事の無い、ローマ市にコレセウムは、今尚そびえ、その栄華を誇ったローマ帝国の時代を現在に示しています。
古代ローマでは、コロセウムでの試合が市民を熱狂させ、野獣、剣闘士の闘い、模擬戦、罪人対野獣の残忍な見世物が存在していました。
市民にこの様な競技場とパンを与える事こそ、ローマの支配者達が、市民の反発をかわす手段として考案した、政策の一つでした。

 最初、この様な見世物の場所としては、紀元前29年に造られた円形競技場が使用されていましたが、有名なネロ時代の大火で焼失し、ネロの跡を継いで即位した、ベスパシアヌスとティトゥスが、ネロの「金の家」が在った場所にコロセウムを建設してのでした。
伝承に因れば、ネロ自身もコロセウムに出掛けた事に成っていますが、コロセウムが完成したのは、紀元前80年であり、ネロの死後10数年を経過していますから、ネロは実物を見る事さえ出来ませんでした。

 この長円形の闘技場は、奥行き90m、その階下は、地下道や檻が造られており、石造りの観客石が48mの高さ迄続き、5万人の観衆を収容する事ができました。
最上席は、最下段に設けられ元老院議員等身分の高い人々専用、中央に皇帝専用のロイアルボックスが在り、執政官達の席が並んでいました。
その上段が、貴族席、更に上段がローマ市民、即ち平民の席でした。

 見世物が行われる時は、競技(闘技)場の周囲に頑丈なフェンスが設置され、熱さを防ぐ為日除けの天幕も張られていました。
完成祝賀行事は100日間も続いたと云われ、9万頭の野獣が殺され、模擬対戦も行われましたが、このコロセウムにおいて、キリスト教徒が殺戮されたと云う記録は残っていません。

 6世紀には、コロセウムは使用されなくなり、更に13世紀と14世紀の地震で、大きな被害を受け、後年、石材は他の建物の建設に流用され、壁に飾られた彫刻類は失われてしまいました。
修復工事は、19世紀になって開始されたものの、現在残っている物は、石と煉瓦の欠片、そして残忍なローマ時代の競技の名残だけなのです。

続く・・・
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