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2011/03/16

人類の軌跡その36:キリスト教③

<カタコンベ・コロセウム・聖ピエトロ寺院その3>

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◎殉教と復活

 コロセウムの外側には、火刑に処せられ、虐殺されたクリスチャンの遺体を葬った墓所が在り、ペテロの遺体も其処に投げ込まれ、使徒パウロも同じ運命を辿ります。
しかし、彼等の殉教は、結果勝利に繋がり、パウロは自らこの様に述べています。
「我、良き戦いを戦い、走るべき道のりを果たし、信仰を守れり。
今より後の義の冠、我為に備われり」(テモテ後書4の7より8)

 ペテロやパウロの殉教は、決して無駄では有りませんでした。
彼等の殉教によって、多くのキリスト教徒が生まれ、250年後にはローマ皇帝コンスタンティヌス自身の改宗により、キリスト教は、ローマ帝国の国教と也、ペテロの墓の上に教会堂を建立しました。
聖ピエトロ寺院と呼ばれるこの寺院は、歴代教皇の菩提寺院と也、全ヨーロッパの元首が使徒ペテロの墓所の前で載冠式を行いました。

 1450年頃からこの歴史的建築物も崩壊の兆しを見せ始め、1506年その全てを取り壊し、時の教皇ユリウス2世が、建築家ブラマンテ(1444年~1514年)の進言を入れ、同じ場所に新しい聖堂を建立しました。
この聖堂は、最初の聖堂に比べて倍近い大きさと荘厳さを兼ね備え、完成の暁にはローマ市の全人口(当時8万人)を収容する事が出来る程でした。

 新聖堂は、幅135m、全長210m有り、フランス・ランスの大伽藍は地上37.5mですが、聖ピエトロ寺院の伽藍は7.5mも高いものでした。
聖堂はに、44の祭壇が在り、ドームを支える窓間は18m、屋根を支える柱は750本を必要とし聖像の数390体、中には210cmに達する像も多々存在します。
尤も聖ピエトロ寺院も、最初から此れほど巨大な建物であった訳ではなく、次々と拡大されていった結果が現在の姿なのです。
この大寺院が完成するまでに教皇も代を重ね、ブラマンテを始め、12人の建築家が次々と、この大寺院を完成させる為、その生涯の大半を費やしました。
ラファエロ、サンガルノ、ジョコンド、ミケランジェロ等の巨匠と呼ばれる人々も関係し、聖堂の中心になる、直径41mの中央ドームは、ミケランジェロの設計に成り、齢70歳を超えてからの仕事で、彼は完成を観る事無く他界します。

続く・・・
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