人類の軌跡その58:現実と神話の狭間②
<クレタ島のミノス宮殿2>

毎年、毎年アテナイの若い男女が命を失って行く中、終にアイゲウス王の一人息子、テセウス王子が生贄となる順番が巡って来ました。
テセウス王子は、クレタ島に着くとミノス王の御前に引き出されます。
その時、ミノス王の傍に居た栗色の髪をした、アリアドネ姫がテセウス王子を見初め、何とかしてミノタウロスの餌食に成る事から助けたいと思い、彼に密かに短剣と糸玉を渡します。
「テセウスは土牢に入るにあたり、密かに糸玉の端を戸口に止め、糸を引きつつ内に入りぬ。ラビュリントスの最奥にミノテウロスの姿を見出し、隠し持てる短剣にて怪物の首を突き刺し、糸玉を手繰り戻り、迷宮を抜け出し、アリアドネ姫を伴い、島を逃れ、アテナイに戻りぬ」
◎神話から現実へ
以上のお話は、ギリシア神話のお話として有名ですが、後世の人々は此れを荒唐無稽のものとしていました。
しかし、ギリシアの人々は古くからこの話を真実とし、アテナイではテセウス王子を第一の勇者と称え、物語や詩歌に詠われ、大理石や青銅の像と成り、しばしば陶磁器の絵柄と成りました。
19世紀、啓蒙の時代、批判的な歴史家が隆盛するに従い、伝説を史実と見なさない事が科学的な考え方であるとする風潮が一般的と成り伝説は単なる空想的産物に過ぎないと考える様に成りました。
この時代の風潮に相対したのが、ドイツの富豪で探検家のハインリッヒ・シュリーマン(1820年~1890年)で、彼は幼少の頃から、ホメロスの「イリアス」と「オデッセイア」について、事実を詠ったものであると信じ、トロイの発掘を決意し、実行し、成功を修めます。
幼い時代、想像をかきたてたアガメムノンの城壁に内に在った武具、黄金装飾品を発掘し、ホメロスの「黄金のミケナイ」が真実で或る事を世に示しました。
そして、ミケナイ、ティリンス、オルコメノス等、ギリシア黎明期の文明を明らかにすると供に、これ等文明の源を成しているのが、クレタ文明であると考え、シュリーマン自身もクノッソスの発掘を計画し、現地調査迄行いましたが、実現する事無く世を去ります。
続く・・・

毎年、毎年アテナイの若い男女が命を失って行く中、終にアイゲウス王の一人息子、テセウス王子が生贄となる順番が巡って来ました。
テセウス王子は、クレタ島に着くとミノス王の御前に引き出されます。
その時、ミノス王の傍に居た栗色の髪をした、アリアドネ姫がテセウス王子を見初め、何とかしてミノタウロスの餌食に成る事から助けたいと思い、彼に密かに短剣と糸玉を渡します。
「テセウスは土牢に入るにあたり、密かに糸玉の端を戸口に止め、糸を引きつつ内に入りぬ。ラビュリントスの最奥にミノテウロスの姿を見出し、隠し持てる短剣にて怪物の首を突き刺し、糸玉を手繰り戻り、迷宮を抜け出し、アリアドネ姫を伴い、島を逃れ、アテナイに戻りぬ」
◎神話から現実へ
以上のお話は、ギリシア神話のお話として有名ですが、後世の人々は此れを荒唐無稽のものとしていました。
しかし、ギリシアの人々は古くからこの話を真実とし、アテナイではテセウス王子を第一の勇者と称え、物語や詩歌に詠われ、大理石や青銅の像と成り、しばしば陶磁器の絵柄と成りました。
19世紀、啓蒙の時代、批判的な歴史家が隆盛するに従い、伝説を史実と見なさない事が科学的な考え方であるとする風潮が一般的と成り伝説は単なる空想的産物に過ぎないと考える様に成りました。
この時代の風潮に相対したのが、ドイツの富豪で探検家のハインリッヒ・シュリーマン(1820年~1890年)で、彼は幼少の頃から、ホメロスの「イリアス」と「オデッセイア」について、事実を詠ったものであると信じ、トロイの発掘を決意し、実行し、成功を修めます。
幼い時代、想像をかきたてたアガメムノンの城壁に内に在った武具、黄金装飾品を発掘し、ホメロスの「黄金のミケナイ」が真実で或る事を世に示しました。
そして、ミケナイ、ティリンス、オルコメノス等、ギリシア黎明期の文明を明らかにすると供に、これ等文明の源を成しているのが、クレタ文明であると考え、シュリーマン自身もクノッソスの発掘を計画し、現地調査迄行いましたが、実現する事無く世を去ります。
続く・・・
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