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2011/04/08

人類の軌跡その59:現実と神話の狭間③

<クレタ島のミノス宮殿3>

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◎クノッソスの発掘

 19世紀も終わりに近い頃、イギリス人アーサー・エヴァンズ(1851年~1941年)がクノッソスを訪れました。
彼は既に著名な考古学者で古銭学に造詣が深かったものの、シュリーマンの様にホメロスやミノス王に纏わる伝説には関心を持ちませんでした。
彼は、この島から発掘された、古代エジプトの聖刻文字に似た、線状文字の粘土板に興味を持ち、その発掘・発見に努めます。

 1900年、19世紀最後の年、同様な粘土版が発掘された、カンディアと呼ぶ都市の近傍、「紳士の頭」(トウ・シェンビ・イ・ケファラ)の丘を買収して発掘を開始しました。
間もなく、数百枚の粘土版を収めた、石造りの貯蔵庫を掘り当て、その貯蔵庫は更に大きな建造物の一部で、広間、通路、階段、柱廊、ホール等が太陽の下に姿を現しました。
彼は25年間の長期に渡り、発掘を続行し、6エーカーに及ぶミノス宮殿の全貌を明らかにします。

 ホメロスは、クレタ島にはクノッソスと呼ぶ大都市が存在し、偉大なるゼウス親友ミノスがその内に在って、九つの海を支配したと述べていますが、人々はこの話を伝説として、誰も信じようとしませんでした。
しかし、ミノス王はもはや伝説ではなく、実在の存在となり、壮麗な王宮の遺跡からヨーロッパ最古の文明の中心地を見ることが出来ます。

 ホメロスは、クレタ島を「葡萄酒の様に濃い大洋の最中、周囲に水を回らした美しい豊かな島」と讃えていますが、その中に建てられた、壮大な王宮には数多くの通廊や中庭、真っ暗な回廊、大小幾多の小部屋、そしてそれらを取り巻く通路、階段が点在しこの場所を間違う事なく通る事が出来るなら、当に奇跡と言える程でした。
現在、王宮の大部分は復元され、この為にエヴァンスは私財25万ポンド(当時2億2千万円)を投じたと云われています。
クレタ文化の特徴を示す、下部の細い円柱、部屋、テラスが幾重にも連なり、宮殿の壁面には牛の角、牛と闘牛士、グリフォン、庭を散策する貴公子、宝石と花に彩られた少女等の壁画が、色彩鮮やかに再現されています。

続く・・・

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