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2011/04/12

人類の軌跡:その63:現実と神話の狭間⑥

<トロイを求めて・少年時代の夢に捧げた半生1>

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絵画:ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「トロイのヘレン」(1863)

 彼の生涯を決定付け、考古学の歴史に、重要な一章を書き加えるきっかけと成った、クリスマス・プレゼントを父親から贈られた時、ハインリッヒ・シュリーマンは、僅か7歳の少年でした。
その贈り物とは、挿絵の入った本で、古代ギリシアの軍勢に攻め落とされ、火炎に包まれるトロイの情景が描かれていました。

 この絵を見た瞬間から、シュリーマンの幼い心は激しく、直向な思いに捕らわれたのです。
トロイの遺跡を見つけ、疑い深い世間に、ホメロスのトロイ攻略の話が全くの真実であり、単なる詩的な空想ではない事を、証明してやろうと思ったのでした。
此れは、雑貨屋の使い走りをしている、貧乏牧師の息子には、殆んど不可能な目標に見えましたが、来るべき仕事に備えて、古代ギリシア語を独学し、40歳代の初めには、仕事をやめても十分生活していけるだけの蓄財を築き上げたのでした。
その上、1869年には、理想的な妻となる、ギリシア人の花嫁を見つけました。
彼女は、ソフィアといい、まだ10代のアテネ娘でした。

◎トロイの地

 頭の中を駆け巡る、ヘクトル、アキレス、アイアスの名前を片時も忘れる事はなく、47歳のシュリーマンとソフィアは、ホメロスの「風強きトロイの野」を求めて、ダーダネルスに向けて旅立ちました。
彼は、100人余りの作業員を雇い、発掘作業を開始したのです。
シュリーマンは、トロイがヒッサリックという、標高49mの丘に存在したと云う、地方の伝承を信じ、この話は、ホメロスに関する彼の知識と一致していました。
その丘には、何らかの遺跡が埋蔵されている事は、現地では既に知られていましたが、当時、考古学は現在の様に学問として確立された分野ではなく、又シュリーマン自身も、実際に発掘に携わるのは初めての経験でした。

 作業員達は、ヒッサリックの地下に何が存在するのか確認する為、北側の急斜面に深い溝を掘りました。
一行は、直ぐに何時の時代に属するのかも判らない、入り組んだ遺跡に到達しましたが、後日、この複雑な遺跡は、9個の異なる都市の痕跡が、階層を成して互いに重なり合っているものである事が判明したのです。

シュリーマンは発掘作業を継続し、終に失われた都市の、高さ6mは在ったと推定される、城壁後に行き着いたのでした。
嘗て、ヘレネの誘拐に報復する為、ギリシア軍の進行をパリスが見守っていたのは、当にこの城壁に上からのはずでした。

続く・・・

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