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2011/04/15

人類の軌跡その66:忘却⑭

<シベリアの悲劇その1>

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◎10月革命

 第一次世界大戦も終焉が近く成った頃、1917年3月、ロシア帝国内に革命が発生し、ロマノフ王朝が崩壊、帝政ロシアの時代は終わりました。(当時ロシアは太陰暦の為、「2月革命」とロシア国内では呼ばれています)

 革命で成立したケレンスキー率いる臨時政府は、連合軍側に加わり、戦闘継続を主張しましたが、疲弊に苦しむ工場労働者、農民、更には兵士も合流して、臨時政府に反抗します。
スイスに亡命していた、レーニンも封印列車で帰国し、労働者、農民を鼓舞しました。
人民は、「戦争継続の即時停止、人民に食料を!農民に土地を!全ての権力をソビエトへ!」と叫び、同年11月6日再び革命を起こしました。

 ケレンスキーの臨時政府は打倒され、それに代わって、トロツキー、レーニン等によるソビエト政府が誕生しますが、之が「ロシア革命」であり旧暦10月25日にあたる事から、「10月革命」と呼んでいます。

 10月革命以後、ソビエト政権が列国の予想に反して、堅実な歩みを示し、革命が着々と成功しつつある事を知り、アメリカ、イギリスを始めとする資本主義国家の恐怖が次第に増大し、1918年2月イギリス海軍によるムルマンスク上陸をきっかけに、ロシア国内の反革命勢力の援助と、革命政府打倒を目的に、16ヶ国による共同干渉が組織されました。

 日本の「シベリア出兵」もその一環であり、シベリアに駐留するチェコ軍支援を名目に、アメリカ、フランス、イギリス、中国との共同派兵の形式で行われました。

続く・・・

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