2011/04/17

人類の軌跡その68:忘却⑯

<シベリアの悲劇その3>

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◎始まり

 事件の発端は、1919年11月13日、西シベリアのオムスク市に始まりました。
ロシアの10月革命後、帝政ロシアの海軍提督アレクサンドル・コルチャークは、強大なロシア帝国の残存者を集めて、反革命軍を組織し、イギリスの援護の下にオムスク市に独立政府を擁立します。

 コルチャーク提督(1875年~1920年)は、日露戦争当時、旅順港の戦いで名声を受け、我国でも良く知られた人物でした。
日露戦争後、日本海海戦で壊滅した、バルチック艦隊(第2、第3太平洋艦隊に艦艇を捻出)の再建にも努力し、第一次世界大戦前には、極地探検家として名を成し、第一次大戦海戦後は、バルト海で駆逐艦隊を指揮し、ドイツ艦隊を翻弄殲滅し、後に黒海艦隊司令官に任命されました。

 第一次世界大戦末期、共同作戦を展開する為、アメリカに派遣、その帰途10月革命の報を聞き、日本を経由してシベリアに入り、イギリスの援助の下に、1918年11月、オムスク市に反革命独立政府を樹立しました。
一時はその勢力も強大でしたが、1919年11月、首都オムスクは革命軍に占領されるに至ります。

 コルチャーク提督は、再起を後に託し、ひとまず5000マイルに近いシベリアを横断して、太平洋岸に引き下がる事を決意しました。
其処には、友邦日本にも近いと云う思惑が有ったかも知れません。

 コルチャーク提督に従う軍隊は50万人を数え、更に75万人の亡命者を伴いました。
亡命者は、何れも革命政府の政治を忌み嫌い、帝政時代に親しみを持つ人々で、25人の司教と12000人の僧侶、4000人の修道士、45000人公安関係者、20万人以上のロシア貴族の女性、それに驚くほど多くの年少者を含んでいました。

 遥かな昔、イスラエルの指導者モーゼは、エジプトで奴隷と成っていたイスラエル人数百万人を引連れ、エジプトを逃れ、紅海を渡り、シナイ半島の荒野を40年に渡って彷徨い、苦難の末ようやく神の約束の地、カナンに達する事が出来ました。
(但し、カナンの地に達したのは、モーゼを始めエジプトを脱出した彼等の子孫で或る事に注意)
コルチャーク提督のシベリア大移動は、モーゼの出エジプトの苦難に、勝るとも劣らないものが在りました。
 
 このコルチャーク提督の膨大な随伴者の中でも、最も重要な物が在りました。
反革命政府の軍資金として、帝政ロシア政府から引き継いだ、5億ドルにも及ぶ500トン近い金塊で、是を28両の装甲車両に分散して積込みました。

続く・・・
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