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2011/04/18

人類の軌跡その69:忘却⑰

<シベリアの悲劇その4>

ヘルムート・グラッスル-シベリアの冬_convert_20110418203048

◎道標

 オムスク市付近の冬の平均気温は、氷点下20度(最低記録は氷点下49度)ですが、コルチャーク提督に率いられた、125万人の大部隊が、8000kmに及ぶ大移動にその第一歩を踏み出した時、シベリアに住む住民さえ、体験した事の無い猛烈な寒気が、シベリアを襲います。

 氷点下40度前後を上下した寒気は、更に20度低下したと云われており、この地球上の住民居住地域で一番の寒気を記録したのはオイミヤコン(1926年1月26日-71.2度)ですが、この気温に成ると弱い風が吹いただけでも、吐いた息は、そのまま音を立てて凍り、大きく喘ぐと呼吸困難や窒息すら起こり得る過酷な環境と成ります。
その様な場所に、防寒装備も無いに等しい状態では、僅か5分程度でも凍死は免れず、ゴム製品は薄いガラスに様に脆く成り、水銀は鋼鉄の様に硬くなり、寒暖計は使用できなくなります。

 この様な厳しい寒さの中に、125万人(多くの婦女子を含む)が突入するのは、結果として明らかなのです。
うなりを伴う烈風と猛吹雪は、正に刃物の様に、鋭く身を切り、この歴史上最大の人類の大移動に、計り知れない苦難を与えました。
そして間も無く、シベリアの雪の荒野には、凍死した人間や、橇、馬が墓標の様に連なり、降りしきる雪は、これ等屍に上にも積もり、あたかも万里の長城の様に、シベリアの道を何処までも印付けました。

 嘗て、ナポレオン軍が、ロシアの冬将軍に破れ、モスクワを後にした時、死体の列がその後に続いたと言いますが、コルチャーク提督のシベリア退却は、それ以上のものが在りました。

続く・・・

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