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2011/04/20

人類の軌跡その71:忘却⑲

<シベリアの悲劇その6>

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◎バイカル湖・・・終焉の地

 2月の終わり近く、125万人は、25万人に減少していました。
これ等の人々は、万難辛苦に耐え、ようやくオムスクから2000kmのバイカル湖畔に辿り着く事が出来ましたが、彼等の消耗は凄まじいものでした。
最後の安全を図るため、バイカル湖を横断する必要が在り、80kmに及ぶ広さ、3mの厚さで覆われた氷の上を25万人の生きた亡霊が進みます。
過去3ヶ月間の苦難は、この世のものと思えないものでしたが、この悲劇の退却最大の事態がバイカル湖上に待ち受けます。
硬く結氷した、バイカル湖上の寒さは頂点に達し、氷点下69度を記録し、受難者を死に導くような猛吹雪が唸りを上げて吹き始めます。
熊やアザラシの毛皮を身に纏っても、何の意味も無く、極限の寒さは彼等を翻弄し、次々と死に追い遣っていきました。
この様な最中、貴族の夫人の一人が氷上で産気づいたのですが、誰一人、手を貸す者も無く、無表情にその前を通り過ぎて行き、その夫人はお産の最中に凍死し。妻の姿を傍目から隠そうとした、夫もそのまま凍り付いていきました。

 バイカル湖の湖上を生きて脱出した者は、皆無であり、その上を真っ白な雪が覆って行きました。
バイカル湖上の25万人の遺体は、翌年の夏、湖面の氷が解ける迄、倒れたそのままの姿で残されました。
氷が解けた時、この恐るべき、そして痛ましい風景は、静かに視界から消え失せて湖底深く沈み去って行きました。
彼等こそ、近代史最大級の悲劇に違い在りません。

 アレクサンドル・コルチャーク提督は、バイカル湖畔に逃れる以前に、革命軍に拘束され、1919年2月イルクーツクで、反革命罪に問われ、刑場の露と消えましたが、50万人の兵士、75万人の民を極度の苦難に遭遇させた末、死に至らしめた彼の罪は、万死に値いする事でしょう。

終わり・・・

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