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2011/04/23

人類の軌跡その74;大航海時代③

<コロンブスの遺骨その3>

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◎コロンブスの墓

 コロンブスに関しては、上陸地点の確定も然りですが、その墓の場所についても多年に渡り、多くの研究者の意見が分かれ、この結果、一国の宰相が更迭され、キリスト教会が非難を受け、国家間の戦争勃発寸前の状況を作り出しました。
ヨーロッパとアメリカでは、コロンブスと云う、キリスト以後世界で最も有名な人物の遺骨の存在と所有を廻って、論争が絶えませんでした。

 クリストファー・コロンブスは、第一回の航海の後、3回に渡り合計4回、大西洋を横断し、「黄金のジパング」や「香料」の国インドを必死に探し求めましたが、その思惑とは裏腹に、原住民の反乱や本国の反対派による逮捕拘束される等、かつての提督も晩年は、病と貧困に悩まされ、不遇の内に1506年スペインのバリヤドリードで、寂しくこの世を去りました。

 彼がその死にあたり、繰り返し第一回の航海で発見した、豊かで美しい島ヒスパニオラ(現ハイチ)に遺体を葬る様懇願したのでした。
其処には、繁栄したサント・ドミンゴ港が在り、全スペイン人衆目の土地で在り、コロンブスが最初に建設した、恒久的植民地で、巨万の富を求めて、海外へ向かう人々の目標の土地と成っていました。

 この新世界の中心地と云うべき場所に、コロンブスの遺体が移されたのは、彼の死後30年を経過した、1540年の事で、スペインから到着した鉛製の柩は、この為に新たに建立された教会で、厳かな儀式が行われた後、祭壇の北側の床下に安置されました。
その時、息子のディエゴ・コロンブスの遺体も、スペインから一緒に運ばれ、父親の遺体の傍に埋葬され、二つの墓にはそれぞれ大理石の墓碑銘が刻まれ、150年の間、何事も無く時間が過ぎていきました。

 しかし、1655年英国海軍が、サント・ドミンゴを攻略した時、教会は英国軍による暴挙から、墳墓の冒涜を守る為、大理石の墓碑銘をはじめ、遺体の所在を明らかにする物の全てを抹消してしまい、戦乱後も墓碑は修復されず、コロンブスの遺体の安置された場所を示す、墓碑銘等は復活せぬまま140年の時間が経過していきました。

 1795年、スペインはフランスからバーゼルの講和により、ヒスパニオラ島西側を強制的に割譲された為、スペイン人は自国の国民的英雄の遺体を、手放す訳には行かず、コロンブスの柩をキューバ島に移動します。
彼等は、教会の祭壇の下にある墓所を掘り、姿を見せた鉛製の柩をハバナの教会に移し、納骨所に安置するとその場所を封印しました。
納骨所には、コロンブスのレリーフが置かれ、次の様な碑銘が掲げられました。
「偉大なるコロンブスの遺体とその像よ、この柩の中に、そして、我が国民の記憶の中に、永久に安らぎ給え」

続く・・・
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