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2011/04/24

人類の軌跡その75:大航海時代④

<コロンブスの遺骨その4>

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◎遺骸紛争Ⅰ

 サント・ドミンゴ教会は、その栄光を剥奪されたまま、荒廃するに負かせ、誰も顧みる者が在りませんでした。
1877年教会の再建が決まり、その時祭壇前の床石を掘り起こしていた作業員が、1795年にハバナに移動させた鉛製の柩と同様な柩を発見しました。
柩の上には、“D.de la A.per.Ate”の略語が掘り込まれており、コロンブスに事跡を調査していた、クロナウ博士は、“Descubridor de la America primer Almirante”(アメリカの発見者、第一級提督)と解釈し、又柩の3方の側面にはC,C,A,の文字が1文字ずつ掘り込まれていました。
この文字の意味は、“Cristoval Colon,Almirante”(クリストヴァル・コロン提督)と解釈する事が出来ました。

 この柩の発見を重要な事態と考えた、教会関係者は、柩の蓋を開けるに当たり、全サント・ドミンゴの名士・名家、各国の領事等を招待しました。
開けられた蓋の裏には、次の様な銘が刻まれていました。
“Llltre y Esdo Varon.Criztoval Colon”この銘に意味は明らかに“Lllustre y Varon Don Criztoval Colon”即ち「名声多き、クリストヴァル・コロン男爵」と解釈されるもので、鉛製の柩の底に、朽ちるにまかせられた遺骨が、誰のものであるか、疑う余地は有りませんでした。

 ハバナの教会では、多年にわたり、別のコロンブスを崇めていた事に成り、墳墓の墓標が早い時期に喪失していた事、コロンブスの子供が父親の傍に葬られていた事、以上を多くの人間が忘れていた事が原因でした。
スペイン人は、偉大なるアメリカの発見者クリストファー・コロンブスの代わりに、息子のディエゴの遺骨の入った柩をキューバに移し、盛大な儀式の内にこれを葬ったのでした。

続く・・・

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