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2011/04/27

人類の軌跡その78:大航海時代⑦

<アステカ族の奇習その2>

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◎コンキスタドール

 スペインの下級貴族ヘルナン・コルテス(Hernan Cortez 1485~1547)は、若くして、キューバに渡り、1518年キューバ総督ディエゴ・ベラルクスの命により、メキシコの探検に向かいます。
彼は兵士400人と馬32頭、大砲を積んだ11隻の帆船に分乗しキューバを出帆、探検先の原住民勢力や土地について全く不案内な中、ベラ・クルスに上陸し、その時乗って来た総ての船を焼却処分しました。
(この話は有名で、映画「レッドオクトーバーを追え」でも紹介されました)
部下達はこの行為によって、完全に退路を絶たれ、原住民を征服するか、自ら死に至るかを選択する事と成りました。

 アステカ族の兵士は、大変良く訓練され、非常に勇敢な軍隊でしたが、コルテス軍の騎兵隊や最新鋭の大砲、戦闘用具に驚き、翻弄され、ひとたまりも無く殲滅されて行きました。
今回の戦いは、スペイン兵士1名対アステカ兵100人に換算される戦果と成り、次々と現れるアステカ軍を打ち破り、首都ティノチティトランに入城します。

しかし、コルテスには独断先行の傾向が強く、キューバ総督は、彼の指揮権を剥奪する事を決め、彼を召還する為、パンフィロ・デ・ナルバスをメキシコに派遣しました。
ナルバスは、スペイン兵の中でも特に勇猛果敢な兵士5名を選抜し、ベラ・クルスに上陸、土地の司令官にコルテス軍より離脱する様勧告しました。

 その司令官は、使者ナルバスの勧告を受入れる代わりに、彼等6人を捕らえ、コルテスの基は送ります。
6人は縄で縛られた上、荷物扱いで首都ティノチティトラン迄逓送しました。(!)
彼等は、飛脚の背中に括り付けられ、昼夜を分かたずベラ・クルスから首都ティノチティトラン迄、約320kmの道程を運ばれました。
その間、厳しい地形を30km毎に移し変えられながら、96時間を費やして、目的地に運ばれました。
人間を荷物扱いで300km以上の道程を運ばれた事実は、前代未聞の出来事で、6人の使者はコルテスの前に引き出され、すぐさま死の宣告を受け無残な最期を遂げます。
その後、アステカ皇帝アウテモクの反乱も鎮圧され、1521年8月、アステカ帝国は歴史的大破壊の後、首都ティノチティトランはコルテス軍の前に陥落しました。

 メキシコ・シティーの西部、ポポカテペトル(煙の山)とイストクシハウル(眠れる乙女)の2山が聳え、東部にはオリサバ山が聳えていますが、何れも5000mを遥かに超え、万年雪を頂く姿は、世界でも美しい山の一つに数えられています。
この3山の内、ポポカテペトルはアステカ族にとって最も神聖な山でした。
この山は何時も煙と轟音を上げており、ちょうどテオカリ寺院の真西に位置し、ピラミッドの頂上から太陽の沈む光景は、あたかも、ポポカテペトルに吹き上げる煙の中、その火口に吸い込まれる様に見えました。
その光景を合図に、祭壇の石の上の生贄に一撃が加えられました。

終わり・・・
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