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2011/04/28

人類の軌跡その79:大航海時代⑧

<雨の神の花嫁(チェチェン・イッツア)その1>

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チェチェン・イッツア①

 メキシコ合衆国のパナマ地峡に近いユカタン半島は、現在沿岸部を除いて住む人間も殆ど居ない地域と成っています。
しかし、現在から500年程遡ったコロンブスのアメリカ大陸発見当時は、アステカ族よりも更に高度な文明を誇ったマヤ族が居住していました。
マヤ族に関する研究は、アメリカ人ジョン・エル・ステフェンス(John L、Stephens)やイギリス人フレデリック・キャザウッド(F、Catherwood)、探検家のアルフレッド・モーズレイ(A,P,Maudslay)等により、19世紀中葉よりユカタン半島現地に於いて調査が進められた結果、マヤ族の文化が少しづつ判明してきました。

 研究によれば、マヤ族は紀元68年頃、既に都市ウワハクトン(ホンジュラス)を建設していました。
彼等は120年間に渡ってウワハクトンに住み、その後24km離れたティカルに拠点を移動します。
ティカルには西暦5世紀初頭迄、マヤ族が居住した痕跡が、都市内に現存する記念物から推定されています。
ティカルの後、マヤ族は次々と遷都を繰り返し、終には紀元530年より629年の間に、中部メキシコの地域を遺棄して、北方のユカタン半島に移住しました。

 彼等は600年に渡る文化を捨て、地味の悪い地域に何故移住したのでしょう?
疫病の蔓延、戦争、凶作等結果なのかは、現在でも良く判っていませんが、一般には度重なる遷都や、ユカタン半島への大移動は、何れも凶作に起因するものと考えられています。

 マヤ族がユカタン半島に移住した時、農耕に必要な河川は殆ど存在していませんが、ユカタン半島北部には、之に代わる非常に大きなセノテス(自然湧水)が存在していました。
ユカタン半島は石灰質の土壌であり、その地下には無数の湖や河川が存在し、地殻が地下に向って傾斜すると、必ず地下水が湧き出しました。
マヤ族はこの豊かな水源を利用して、農耕を行い、飲料水として利用していきました。

続く・・・

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