人類の軌跡その80:大航海時代⑨
<雨の神の花嫁(チェチェン・イッツア)その2>

◎チェチェン・イッツア②
この地に建設された最大の都市が、チェチェン・イッツア(Chichen itza)で、ユカタン半島のほぼ中央部に位置し都市の近郊には、巨大な遊水地を2箇所も従えていました。
この遊水地は、地殻が40m程陥没した場所に出現した、深水湖であり、その直径は60m余り、両者はお互いに1.6km程離れています。
マヤ族はこの地で、十分な水を得る事が出来る為、都市の建設を開始したのでした。
因みに、チェチェン・イッツアとはマヤ語で「泉の口に在るイッツアの町」を意味しています。
二つの泉の内一方は、住民の飲料水と田畑の灌漑に利用され、もう一方は神聖なものとして、雨の神ナホチェ・ユムチャックに奉げられました。
この泉は、水深20m、水面に達する為には更に20m以上も壁面を下る必要が在りました。
マヤ人はこの第二の泉が、陰鬱で神秘的な雰囲気に恐れを抱き、雨の神がこの深い泉の底に神殿を構えて住んでいると信じていたのでした。
マヤ族の間に古くから伝えられた話では、12世紀から13世紀頃、彼等の場所に一人の異邦人が現れ、メキシコ人はこの人物をケツアルコアトルと呼称し、マヤ族はククルカン(有翼の蛇)と呼びました。
ククルカンは戦争捕虜として、チェチェン・イッツアに連行され、雨の神ナムチュ・ユムチャクへ捧げる生贄として、聖なる泉に落とされました。
しかし、ククルカンは溺れる事がなく、マヤ族は古くからの慣わしに従い、彼を救い神の位を授けました。
やがて、ククルカンはチェチェン・イッツアの支配者と成り、ユカタン半島最大勢力を持つ首長と成っていきました。
人々は彼を生き神として崇め、彼の為に神殿を建立したのです。
続く・・・

◎チェチェン・イッツア②
この地に建設された最大の都市が、チェチェン・イッツア(Chichen itza)で、ユカタン半島のほぼ中央部に位置し都市の近郊には、巨大な遊水地を2箇所も従えていました。
この遊水地は、地殻が40m程陥没した場所に出現した、深水湖であり、その直径は60m余り、両者はお互いに1.6km程離れています。
マヤ族はこの地で、十分な水を得る事が出来る為、都市の建設を開始したのでした。
因みに、チェチェン・イッツアとはマヤ語で「泉の口に在るイッツアの町」を意味しています。
二つの泉の内一方は、住民の飲料水と田畑の灌漑に利用され、もう一方は神聖なものとして、雨の神ナホチェ・ユムチャックに奉げられました。
この泉は、水深20m、水面に達する為には更に20m以上も壁面を下る必要が在りました。
マヤ人はこの第二の泉が、陰鬱で神秘的な雰囲気に恐れを抱き、雨の神がこの深い泉の底に神殿を構えて住んでいると信じていたのでした。
マヤ族の間に古くから伝えられた話では、12世紀から13世紀頃、彼等の場所に一人の異邦人が現れ、メキシコ人はこの人物をケツアルコアトルと呼称し、マヤ族はククルカン(有翼の蛇)と呼びました。
ククルカンは戦争捕虜として、チェチェン・イッツアに連行され、雨の神ナムチュ・ユムチャクへ捧げる生贄として、聖なる泉に落とされました。
しかし、ククルカンは溺れる事がなく、マヤ族は古くからの慣わしに従い、彼を救い神の位を授けました。
やがて、ククルカンはチェチェン・イッツアの支配者と成り、ユカタン半島最大勢力を持つ首長と成っていきました。
人々は彼を生き神として崇め、彼の為に神殿を建立したのです。
続く・・・
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