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2011/05/09

人類の軌跡その90:大航海時代⑲

<太陽の乙女達その6>

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                  マチュ・ピチュ復元イラスト

◎太陽の乙女達②

 其れから400年の歳月が経過し、100人の乙女達の事も伝承の彼方に消え去ろうとしていた頃、1911年、偶然の事から、この伝承が真実として語られる時が、やって来ました。
1911年7月、アメリカ合衆国エール大学考古学教授 ハイラム・ビンガム博士(Dr Hiram Bingham)と同僚のハリー・ワード・フォート(Harry Word Foote)、ウィリアム・G・アービング(Willam G,Erving)と共に、ウルバンバ渓谷のインカ時代の遺跡を調査した際、現地人ガイド、メルコール・アルテガに導かれて、マチュ・ピチュ(老いたる峰の町)を発見しました。

 ガイドは、「或る古い高台」を望見する為に、博士一行を禁断の山の頂上に案内します。
ビンガム博士一行は、道の険しさに、幾度もその希望を棄て様と考えましたが、熱心なガイドに励まされ、ようやく禁断の山の山頂に立つ事が出来ました。
その場所こそ、インカの伝承に在る「天使の建てた町」でした。
町の中央に在る神殿に近い神聖な墓地から、什器備品に混じって173体にも及ぶ遺骨が発掘されましたが、その内150人迄が女性であり、彼女達こそ太陽神インティに仕えた「太陽の乙女達」であると信じられています。

 1533年、ピサロの一隊がクスコに入城した時、身の危険を察した「太陽の乙女達」は、太陽神インティに仕える神官の案内で、神殿からウルバンバ渓谷に逃れ、更に険しい山道を辿ってマチュ・ピチュに至り、下界との一切の交渉を断ち、その生涯をこの町で終えたのだと考えられています。

続く・・・

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