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2011/05/21

人類の軌跡その102:歴史と女性⑪

<ナポレオンを敗退させた女性・トルコ皇后エイメその3>

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◎受難

 二人の少女は、自らがこの様な波乱万丈の運命になると言われても、全く本気にする事なく、笑いに興じて聞き捨てました。
しかし、占い師の予言は、エイメの場合、この後彼女に起こる様ざまな事柄の半分も、表現していませんでした。

 エイメは13歳に成った時、母国ナントの修道院学校で教育を受ける為、故郷のマルティニク島を後にしました。
その後勃発した英仏戦争は、彼女の帰国を妨げ、8年の歳月が流れていきました。
1784年、漸く戦争も終結し、故郷に帰る事に成ったエイメは、芳紀正に21歳、青みがかった金髪と、黒い瞳を持つ、美しい女性に成長していました。
しかし、エイメはその時も、それから後も、終に再び故郷の土を踏む事は在りませんでした。
彼女を乗せて、マルティニク島に向った船は、歴史上屈指の勇猛果敢さで名を馳せた、アルジェリアのバルバリア海賊船の襲撃を受けます。
彼等は、地中海沿岸、大西洋東部を襲い、又非武装の民間商船を略奪し、その全てを虜にしていたのでした。

 今回、拉致された人々の中で、エイメは一際目立つ存在でした。
多年に渡り、フランスで身に着けた、深い教養は異常な魅力となって、その動作に現れます。
海賊の頭目は、彼女を滅多に見る事の出来ない「上玉」と眼を付け、アルジェリアの太守に引渡しました。

 彼女の体験は、之で終わりに成る事は無く、アルジェリアの太守は、エイメを一目見て、自分の傍に置くには恐れ多いと考えて、自分の主君であり、財政と武器の援助を受けていたオスマン・トルコ皇帝の下へ送る事にします。
当時、アルジェリアは、名目上、尚オスマン・トルコ帝国の一部であり、この美しい異教徒を虜として皇帝に献上し、今までの援助に報いるだけでなく、彼女を元手に新たな援助を得ようと考えたのでした。

 エイメは再びバルバリア海賊船に乗せられて、地中海を東に向かい、ギリシアを過ぎ、エーゲ海に入り、トロイの遺跡を遠くに眺めながら、ダーダネルス海峡を通り、ボスポラス海峡の岸に建つ、首都イスタンブールに運ばれていきました。

続く・・・
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