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2011/05/23

人類の軌跡その104:歴史と女性⑬

<ナポレオンを敗退させた女性・トルコ皇后エイメその5>

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◎オスマン・トルコ皇妃②

 一方、エイメはイスタンブールに在って、トルコ皇帝の皇妃として、それ以上に身辺多事の日々を送っていました。
皇位継承問題の中、彼女とハミット一世との間に誕生したマフムトは、第三皇子にあたり、トルコ後宮では、当然の成り行きと思われる、マフムトに対する命がけの陰謀が企てられていました。

 異母兄弟の長男セリム、次男ムスタファは共に宿敵となり、その母親達は、一層の敵意を燃やし、隙あらば、相手の子供を毒殺し、政敵側の勢力を失墜させようと画策していました。
しかし、エイメは三人の母親の内で、最も機知に富み、息子の身辺に迫る敵の魔手を最後迄防ぎおおせます。

 1789年、皇帝アブドル・ハミット一世は逝去し、正当な後継者である、第一皇子のセリムが即位しました。
しかし、第二皇子ムスタファの母親は、決して野心を捨てず、執拗に廷臣達を操り、1807年、終にセリムを退位に持ち込みムスタファを皇位に就ける事に成功します。

 この事態にセリム派の怒りを買い、彼らはムスタファを殺害し、セリムを復位させる為、宮殿を強襲しますが、その強固な扉は硬く閉ざされます。
ムスタファ派は刺客を放ち、セリムだけでなく、エイメの息子のマフムト皇子をも亡き者にしようと図ります。
この計画が成功すれば、後継者問題も一機に解決される筈でした。
刺客達は、セリムの殺害に成功しますが、マフムトはその時、煙突に登り、屋根伝いに逃れ、やがてマフムトの警護隊が駆けつけて彼を助け、一方ムスタファとその母親一味は逮捕され、処刑されました。
ムスタファが皇位に就いた期間は、1年に過ぎず、マフムト皇子は、オスマン・トルコ帝国第30代皇帝の位に就き、(母エイメと共に)インド洋からアドリア海に跨る、大帝国を統治する事に成りました。
終にエイメは、「壮大にして華麗な宮殿で、権力を振るう」事と成ったのです。

続く・・・

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