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2011/05/31

人類の軌跡その112:歴史に残る財宝探索①

<ナポレオンの財宝その1>

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◎始めに

 昭和27年(1952年)の年末、アフリカ南部の大西洋に浮かぶセント・ヘレナ島で、遺構の修築工事が開始されました。
ナポレオン・ボナパルトが、失意の生涯を終えた島で、島自体はイギリス領ですが、ナポレオンが晩年を終えた建物はだけは、フランスの所有で、その建物が長年の風雨と白蟻に侵食された為、フランス政府がイギリス人建築家バシル・ハート氏にその修築を依頼したのでした。

 遺構の修築と言う、現在なら良く伝えられる事柄なのですが、別の観点からこの作業を注目した人々が、存在したのも事実です。

 昭和36年(1961年)11月、旧ソビエト連邦の青年共産同盟機関紙「コムソモリスカヤ・プラウダ」が、モスクワ・スモレンスク間に位置する、ストヤーチエ湖についての報告書を掲載しました。
同湖の銀含有率が、通常の湖水の100倍に達し、又水底調査の結果、湖底に“伝導性の高い硬い物体”が存在している事が判明しました。

 ナポレオンの遺構の修築工事と、ソビエト領内の湖水の銀含有量調査結果が、どの様な関係にあるのでしょうか?
つまり、遺構修築工事において、ナポレオンがロシア遠征のおり、ロシア領内から略奪した貴金属品の埋蔵場所を印す何かが発見されるのでないか?と期待された上、上述のソビエトの新聞発表が余りにも符合するのです。

 このお話が、事実なのか、虚構なのかは判りませんが、2世紀近くを経過しても尚、存在し続ける歴史の謎なのです。
一代の英雄偉人には、まず必ずと言って良い程、財宝伝説がまといつきます。
其れは、英雄偉人その人に抱く尊敬や懐かしさの念の変形であり、一攫千金の夢の仮託なのでしょう。
しかし、“ナポレオンの財宝”に関する限り、其れは明らかに「史実」と云われています。

続く・・・
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