人類の軌跡その118:ミステリー①
<ドレイクの併合宣言その1>

サーフランシス・ドレイク
◎カリフォルニアはイギリス領?
サンフランシスコに住むペリル・ジンは、1936年の夏、ゴールデンゲイトブリッジの北側の浜辺にピクニックに出掛けました。
何気なく岩を持ち上げると、その下に汚れた古い真鍮版が隠れていました。
彼は車を修理する時に役立つかもしれないと考えて、その板を自宅に持ち帰りました。
◎女王陛下の名に於いて
彼は板を自宅のガレージに置いたまま、8ヶ月間程忘れていました。
そして1937年の初め、改めて板の存在に気づき、石鹸水で磨いてみると、大きさは縦13cm、横20cm程の板で、底部に凹凸の窪みが在り、表面には線文字が刻まれ、微かに「ドレイク」の文字は判読出来ました。
この真鍮版の発見が、アメリカ史研究家や冶金学者、中世英語学者を巻き込む国際的な騒動に発展したのでした。
板に刻まれていたのは、フランシス・ドレイク(1540年~1596年)による1579年のカリフォルニア併合宣言だったからです。
ペリル・シンは板をカリフォルニア大学のハーバート・ボルトン教授に送り、博士は慎重に汚れを取り除き、その全文を解読しました。
1579年6月17日、本証書により全人民に告ぐ。
神の恩寵と、イングランド女王エリザベス陛下及びその後継者の名に於いて、余はこの王国の領有を宣告する。
ノバ・アルビオンと余が命名し、あまねくこの名で呼ばれるべきこの国は、今後女王陛下に属し、おの王と人民は全地域に於ける権利と資格を自発的に陛下に貢納するもの也。 フランシス・ドレイク
カリフォルニア歴史学会の席上、唖然とする会員達にボルトン博士は、意気揚々と報告します。
「357年間の喪失から蘇えったドレイクの板だ!この真鍮版こそ、カリフォルニア最大の考古学的遺産だ!」
続く・・・

サーフランシス・ドレイク
◎カリフォルニアはイギリス領?
サンフランシスコに住むペリル・ジンは、1936年の夏、ゴールデンゲイトブリッジの北側の浜辺にピクニックに出掛けました。
何気なく岩を持ち上げると、その下に汚れた古い真鍮版が隠れていました。
彼は車を修理する時に役立つかもしれないと考えて、その板を自宅に持ち帰りました。
◎女王陛下の名に於いて
彼は板を自宅のガレージに置いたまま、8ヶ月間程忘れていました。
そして1937年の初め、改めて板の存在に気づき、石鹸水で磨いてみると、大きさは縦13cm、横20cm程の板で、底部に凹凸の窪みが在り、表面には線文字が刻まれ、微かに「ドレイク」の文字は判読出来ました。
この真鍮版の発見が、アメリカ史研究家や冶金学者、中世英語学者を巻き込む国際的な騒動に発展したのでした。
板に刻まれていたのは、フランシス・ドレイク(1540年~1596年)による1579年のカリフォルニア併合宣言だったからです。
ペリル・シンは板をカリフォルニア大学のハーバート・ボルトン教授に送り、博士は慎重に汚れを取り除き、その全文を解読しました。
1579年6月17日、本証書により全人民に告ぐ。
神の恩寵と、イングランド女王エリザベス陛下及びその後継者の名に於いて、余はこの王国の領有を宣告する。
ノバ・アルビオンと余が命名し、あまねくこの名で呼ばれるべきこの国は、今後女王陛下に属し、おの王と人民は全地域に於ける権利と資格を自発的に陛下に貢納するもの也。 フランシス・ドレイク
カリフォルニア歴史学会の席上、唖然とする会員達にボルトン博士は、意気揚々と報告します。
「357年間の喪失から蘇えったドレイクの板だ!この真鍮版こそ、カリフォルニア最大の考古学的遺産だ!」
続く・・・
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