人類の軌跡その136:ミステリー⑱古美術を贋作した名人の失策
<エトルリアの像の親指その2>

◎「老戦士」の誕生
一家の手がけた最初の大作は、青銅製の2輪戦車でした。
1908年12月、中部イタリアのオルピエート近くのエトルリア遺跡で、完全な「ピガ(2頭立て戦車)」が発掘されたと云う知らせが、大英帝国博物館に届きました。
2500年間土に埋まっていたと思われ、汚れを洗う作業はリッカルディ一家が行っているとの事でした。
博物館がピガをフスキーニから購入したと公表したのは、1912年の事でした。
同年、リッカルディ一家は、仕事場をローマの場末からオルビエートに移します。
その後間も無く、ピオが死亡しましたが、一家はすぐに仕事を再開しました。
今回はアルフレード・フィオランパティと云う、腕のよい彫刻士の協力を得て「老戦士」と呼ばれる像を製作しました。
この像は、高さ2m、羽根兜と胸甲、具足を付け胸甲からひざ下までは裸で、右腕と左手の親指が有りませんでした。
右腕については、如何なる姿勢をとらせるかで、製作者の意見が分かれ、結局付けない事にしたのでした。
「老戦士」は、完成するなり、メトロポリタン美術館に購入され、同美術館は、一家の大作「巨人像頭部」と呼ばれる作品も買い上げました。
この作品は、顎の下から兜の頂上迄、1.4m余りの高さが在り、この作品を見た専門家は、本来の像の高さは7m程度在ったと考えましたが、この2点の買取価格は僅か数百ドルでした。
続く・・・

◎「老戦士」の誕生
一家の手がけた最初の大作は、青銅製の2輪戦車でした。
1908年12月、中部イタリアのオルピエート近くのエトルリア遺跡で、完全な「ピガ(2頭立て戦車)」が発掘されたと云う知らせが、大英帝国博物館に届きました。
2500年間土に埋まっていたと思われ、汚れを洗う作業はリッカルディ一家が行っているとの事でした。
博物館がピガをフスキーニから購入したと公表したのは、1912年の事でした。
同年、リッカルディ一家は、仕事場をローマの場末からオルビエートに移します。
その後間も無く、ピオが死亡しましたが、一家はすぐに仕事を再開しました。
今回はアルフレード・フィオランパティと云う、腕のよい彫刻士の協力を得て「老戦士」と呼ばれる像を製作しました。
この像は、高さ2m、羽根兜と胸甲、具足を付け胸甲からひざ下までは裸で、右腕と左手の親指が有りませんでした。
右腕については、如何なる姿勢をとらせるかで、製作者の意見が分かれ、結局付けない事にしたのでした。
「老戦士」は、完成するなり、メトロポリタン美術館に購入され、同美術館は、一家の大作「巨人像頭部」と呼ばれる作品も買い上げました。
この作品は、顎の下から兜の頂上迄、1.4m余りの高さが在り、この作品を見た専門家は、本来の像の高さは7m程度在ったと考えましたが、この2点の買取価格は僅か数百ドルでした。
続く・・・
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